2025年6月 旬のしずく~地産地消推進隊~

「継承」と「変革」と「挑戦」四代目の可能性は無限大

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■有限会社 丸和養魚場 花井 章浩さん・雅史さん

豊橋市神野新田町

代々受け継がれている技術で育てたうなぎの美味しさを実感しているからこそ「この美味しさをもっと多くの人に届け知ってほしい」と、雅史さんが家業に入り親子二人三脚の歩みが始まった。
Instagram:@masa_unagi_yoshoku @unagi_maruwa


井戸水が豊富だったことで栄えた豊橋の養鰻業。美味しさをもっと伝えたいと養鰻の世界に飛び込んだ、四代目の花井雅史さんに話を聞いた。
 
もともと養鰻が盛んだった豊橋

 豊橋市神野新田町は市の西部に位置し、埋め立て地域として知られている。田んぼなど広がる平地で養鰻業を営んでいる有限会社丸和養魚場の花井章浩さんと雅史さん親子。戦前から養鰻事業を始め1968年に会社を設立し、章浩さんは3代目で将来的に雅史さんが受け継ぐ。露地池から養鰻を始め、一時期は手長エビも手掛けたが、現在はハウスで養鰻のみを行っている。
 愛知県は一色町が有名だが、豊橋は古くから養鰻が盛んな地域だった。しかし、露地池は時代の流れもありハウスの養殖施設に移り変わり、土地も商業化していくとたくさんあった養殖場も13軒にまで減少した。こうしたなか、雅史さんは継ぐべきか悩み続けたが、「父が育てるうなぎの美味しさと、育った環境を残したい気持ちが強くなった」と、10年務めた会社を辞め、4年前に家業を継ぐことを決意する。

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鰻の養殖とは…
 うなぎの稚魚であるシラスうなぎは、漁獲された天然物を問屋から仕入れ、漁の時期と漁獲量、仕入れられる量が国によって決められている。丸和養魚場では単年で養鰻し、稚魚を池に入れてから約6カ月で出荷可能となる。ハウスの中の池は井戸水を使用し、水温は約30度に管理され、5.7㎝程の稚魚は3カ月後には30㎝近くにまで成長するそう。毎朝3時起きで、作業を分担。1日2回の餌やりは、章浩さんが魚粉の配合飼料・水・オイル(魚油・植物油)を混ぜ合わせ、餌を作るところから始まる。その間に雅史さんが、各池のうなぎの状態を確認し餌の量を決め与える。
 出荷可能まで成長したうなぎは、どうまんと呼ばれる専用の籠に入れ、暴れて傷が付くのを防ぐため氷水につけ動きを鈍らせ、問屋の器に移して出荷される。
 

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花井さんのこれからと地産地消
 養鰻の世界に入った雅史さんは「網も何種類もあり、とにかく道具や設備数が多い。そして、網などの修理から設備のメンテナンスまで、ほぼ自分たちでやらなければならない」と驚いたそう。また、最も重要とされる池の管理に対して「毎朝、池の掃除や排水・給水を行い、池の水をきれいにすることで、うなぎにとって心地良い環境作りを大切にしています」と話す。これは、臭みの少ないうなぎにすることに繋がる。また新たな取り組みとして、代々継承される技術を踏まえながら、ブランディングやSNSの情報発信、独自販売など、雅史さんは時代に沿った周知と販売にも力を入れている。
 父から子へ、養鰻の技術は受け継がれ、豊橋産うなぎを守り、美味しい鰻をより多くの人に届け続ける。
【編集】貴重な豊橋育ちのうなぎの現場を見せていただき、とても感動しました!

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