2013年9月 地のしずく~地産地消応援隊~

季節誌しずく-地のしずく

東三河の豊川用水の水源

地域の水瓶、宇連ダム、大島ダム、
天竜川からも水をもらいうけ
それらをまとめ流れを作る豊川用水路。
西部水路は豊川市を通り蒲郡市へ。
もう1本は東部水路は豊橋市を通り田原市へ。
牟呂用水は豊川水源として豊橋の中心を流れる。

農業王国になった「東三河」
豊川用水路が東三河にどれほどの恵みを与えているか・・・
また、与えてきたか・・・あらためて見直してみた。

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私たち東三河の命の水源、豊川用水

私たちの住む東三河地方に農業用水、水道用水、工業用水を供給している豊川用水。この地域はもともと土壌も細く、用水の存在がない時代には幾度となく干害に見舞われ、育つ作物も限られその作物にも被害が度々及んだ。その現状を見て立ち上がったのが田原市出身の政治家近藤寿市郎翁。田原市には大きな川がないため、被害も特に大きかった。視察に訪れたインドネシアでの農業水利事業をヒントに、豊川上流の鳳来町(現新城市)にダムを建設し、貯めた水を東三河地方に導水するという構想を抱き、宇連ダムを皮切りに国営事業として建設が開始された。

用水の主水源である豊川は、日本列島の太平洋側のほぼ中央部に位置し、全国有数の清浄な水質を保つ。愛知県北設楽郡設楽町の段戸山(標高1,152m)に発し、山間渓谷部を急勾配で下り、宇連川と合流し、豊橋平野で蛇行を繰り返しながら瀬や淵を形成し、緩やかに流れ、良好な水質や豊かな河道内の樹木群により、生物の生息・生育環境を育む。豊川市で豊川放水路を分派、豊橋市内を流れ、三河湾に注いでいる。

流域面積724平方キロメートル、幹川流路延長77kmの国土交通省が直接管理する一級河川に指定されている。事業は20年の歳月を経て、昭和43年に完了。恵みである豊川の水は渥美半島、静岡県湖西市まで行き渡り、この地方の農業や工業における今日の発展の礎となった。後に広範囲にダム、調整池、頭首工ができ、豊川のきれいな水は、田畑で農作物を育てる水や、生活に必要な飲料水、工場で必要な水として東三河の各地へ送り届けるために管理されるようになった。

通水後は広く大規模な灌漑が展開し農業上でも多目的に利用され、天候に左右されることなく、適地適作が行われ合理的な作付け体系が樹立された。冬作の麦類、夏作の雑穀それにサツマイモなどに代わり、商品性や付加価値の高い冬作のキャベツ、白菜、大根、夏作のトマト、キュウリ、メロン、スイカなどの栽培が行われるようになった。農業生産における用水効果により、全国有数の畑作農業の主産地がここに誕生した。

また「ガラス温室」、「温室園芸」は豊橋が発祥の地。今では「農業王国」に発展した渥美半島はハウス栽培も代表的な存在、田原市温室栽培の電照菊は全国的に評価され、蒲郡市では温暖な気候を利用してミカン栽培、豊橋市北部から豊川市に及ぶ地域では全国有数の柿の産地など、

東三河地域における産業、経済の基盤を成するまでに成長した。豊川をはじめ、自然が作り出した環境も先人の知恵と努力により、この東三河の力が東三河全体へ行き渡り、今日ある私たちの命の源に繋がっていることを忘れてはならない。


 

独立行政法人水資源機構独立行政法人 水資源機構
豊川用水総合事業部
総務課長 
中川 正彦さん

豊橋市今橋町8番地
Tel.0532-54-6501

 

季節を問わずおいしい野菜や果物を味わうことができる、日本有数の農業王国、東三河地方。温暖な気候と地域の皆様のたゆまぬ努力とともに、豊川用水の水がその一翼を担っていることを、豊川用水の通水に携わる人間として誇りに感じています。
しかし、この水が皆様の手元に届くまでには、多くの方々の努力、時には犠牲があったことも忘れてはいけない事実です。近藤寿市郎氏、八木一郎氏、河合睦郎氏など用水の実現に奔走された方、工事に汗を流された方、ダムのために故郷を離れなければならなかった方、危険な工事で亡くなられた方・・・
日々、当たり前のように使っている水が、その裏では多くの人の汗、涙、傷みがあることによってもたらされていることを、時には思い描いていただけたらと思っています。


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